講師紹介

なぜ食と健康に興味を持ち、伝えたいと思い始めたのか。


◎食を見直すきっかけは、自分と家族の体調不良から

私は、北海道の伊達市という太平洋側の内浦湾に面した自然の豊かな町で生まれ育ちました。子どもの頃から、食べ物と体の繋がりには関心があり、食べることも料理をすることも大好きでした。札幌の大学を卒業後、生命保険会社に勤務。結婚して妊娠を機に専業主婦となりました。

生まれた息子は、アレルギーがひどく、年中鼻水が出ていて、病院通いが日常でした。当時は、テレビや雑誌に出ている情報を鵜呑みにし、ドクターの言うことが全てだと信じ偏った情報の中で精一杯、息子にいいと思うことを実践していました。しかし症状は良くなるどころか悪化するばかり…。息子が小学校に上がるとき、夫の転勤で千葉県柏市へ引っ越しますが息子のアレルギーだけでなく、夫も手のひらに原因不明の湿疹が出ていました。私もひどい貧血、冷え性、日光湿疹などの症状に悩まされ家族全員が何かしらの体調不良を抱えての日々。病院へ行くと大量の薬を出されますが治る兆しはなく、結局息子のアレルギーも私の貧血も「治らない一生付き合っていかなければならない症状」とドクターに言われてしまいます。でも心のどこかで「そんなはずはない!なにか方法があるはず!」と強く思っていました。

頭では、体を作るのが食べ物だというのは分かっていました。しかし自分の体を快適にするために何をどうしたら良いのかはさっぱり分からず手探り状態が続いていました。食べ物について自分なりに調べ始めたある時「玄米」というキーワードにたどり着き「マクロビオティック」という言葉を初めて知ります。2009年のことでした。当時は、マクロビオティックという言葉が今ほど一般的ではなく「怪しい」という人もいるような時代でした。それでも、その食事法が気になって、近くにマクロビオティックの料理教室があると知り、ネットのうわさ話に不安を持ちながらも自身の興味と好奇心の方が勝り、体験レッスンを申し込みました。

◎マクロビオティックとの出合いが人生の転機となる

マクロビオティックについての知識が全く無い状態で参加した体験クラスは、たまたま上級クラスの日でした。「動物性のものを使わなくても、こんなに美味しく料理ができるなんて」とすべての料理に感動。さらに、息子のアレルギーの話をすると、「◯◯を止めたら治るかも」とアドバイスをいただき、その「目からウロコが落ちる」のような言葉に衝撃を受けながらも希望の光が見えたような気がしました。初めて耳にした食材の「陰陽」や「五行」の話などもとても興味深く、それまで抱いていたネットのうわさ話のような不安は微塵もなくなり「マクロビオティックを知りたい、学びたい」と強く思いました。

今現在ではすっかりマクロビオティックが当たり前の生活をしておりますが、20代の頃は実はとっても不摂生な生活を送っていました。お酒やファストフードは日常、妊娠するまではタバコも吸っていました。料理好きということも手伝い結婚後も肉や魚をたくさん使った、まるでアスリートが食べるような品数のメニューを作って食べていました。一気に食生活を切り替えるのは難しいかもと思いましたが、やれるところから無理なく実践していきたいと考え、教室に通い始めました。息子の夏休み中には、あらゆるアレルギーを引き起こす原因となると言われる食品断ちも決行。すると、息子の鼻水が10日ほどでピタッと止まり、週に1回の病院通いも必要なくなりました。私自身も少しずつ体調がよくなりはじめ、マクロビオティックの暮らしに少しずつ切り替えるようになりました。学ぶならとことん極めたいと思ったので、マクロビオティックの学校は師範クラスまで通いました。途中で北海道へ戻ることになったのですが、残りの授業は飛行機で東京に通い、無事修了しました。

同じ頃、マドンナのパーソナルシェフをやっていた西邨マユミさんのレシピ本を手にします。日本のマクロビオティックが海外で受け入れられていることに感動し、私もたくさんの人にマクロビオティックの食事を知ってもらい、食べてもらえたら…と考えるようになりました。さらに、かつての私や息子のように病院通いをしている人たちに、毎日の食事で病院へ通う回数が減らせることも伝えたいと思うようになりました。

たくさんの人に知ってもらうため、漠然とマクロビオティックのカフェを始めたいと考え、調理師免許を取ろうと給食センターで仕事を始めます。資格取得後は、カフェの経営のことを学ぶため、コーヒー豆を扱うカフェでも働きました。仕事でどうしてもコーヒーや牛乳を口にしなければならないときもありましたが、梅醤番茶や梅干し、あずき茶などを常備し、マクロビオティックで体を整えながら仕事を続けていました。また、コーヒーを飲み過ぎるとジャンキーなものを欲するようになると気が付くこともできました。ある意味、自分の体で人体実験ができた期間でもあり、貴重な経験だったと思います。

◎食を通じたご縁を「結び」、皆が笑って暮らせる世の中に

カフェで働き始めて1年くらい経った頃、ご縁があって、札幌にある自然食品の店「らる畑」でお弁当を作るシェフのアシスタントとして関わることになります。ここでシェフを務めていたのが、私のお弁当作りの師匠となる藤田裕子さんでした。ところがアシスタント2年目のとき、裕子さんが倒れ、その約半年後に亡くなるという悲しい出来事がありました。その後、裕子さんの跡を引き継ぐ形で動物性食材を出汁に至るまで使用せず、調理法もマクロビオティックにこだわったお弁当作りをさせてもらっています。屋号である「Vege-ラボ 結」の「Vege-ラボ」は裕子さんが使っていた屋号。たくさんの人に笑顔になってもらえるようマクロビオティックを広げていきたいね、一緒にいろいろやっていこう!と話していたその想いを忘れ去られてしまわぬよう、ご家族の承諾を得て、屋号を引き継がせてもらうことにしました。「結」は、裕子さんとのご縁、これからわたしが出会う人たちとのご縁を結び、大切に繋いでいきたいという想いを込めて付けました。

実は裕子さんが亡くなった年に、夫の父、実の兄と、大切な人たちが次々と亡くなり、生と死について深く考えさせられました。そして、一度きりの人生、悔いなく生きたいと思いました。マクロビオティックの師範クラスを修了したあと、東洋医学のこと、氣のことも学び、マクロビオティックをより自在に扱えるようになりました。そして、今は食からすべてが繋がっていることを実感しています。暮らし方、子育て、体と心の整え方など、繋がっていることがたくさんあります。お弁当作りでマクロビオティックの食事の美味しさを伝えるとともに、講座や料理教室を通じて、一人でも多くの方が日々の食事で自分の体調を整え、元気で暮らせるように、マクロビオティックの取り入れ方を伝えたいです。また、望診法も活用して、皆さんのお役に立てればと思っています。私が願うことは、「食を通じて、みんなが居心地の良い体となり笑顔で暮らせる世の中にしたい」。ただ、それだけです。